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2005年10月31日 (月)

マンガ「夕焼けの詩」の映画の仕上がりに改めて不安を抱く

J-waveの「TOKYO CONCIERGE」を何気なく聞いていたら、今週公開される映画として邦画を2本、紹介していた。一本はALWAYS 三丁目の夕日」、もう一本は北野武の話題の新作「TAKESHI’S」である。なんとはなしに聞いていたら、評者:清水節さん(編集者にして映画ライター)の評価が両作品ともわりかし渋い。番組HPから、その言葉を引用したい。→WEB版東京コンシェルジェ

今週は話題の邦画を2本取り上げましょう。最近、邦画をご紹介する機会が増えているのは非情に喜ばしいのですが……
 まずは『ALWAYS 三丁目の夕日』。この映画は東京タワーの建設が進む「昭和30年代」という時代を描きます。この設定には個人的にもの凄く期待が高くて、たしかにCGを使った昭和30年代を表現する美術は素晴らしかったのですが……残念ながらドラマとしては「昭和30年代にタイムスリップ」はできませんでした。漫画が原作のため、やむを得ない部分はあるのかもしれませんが、一言で言えば「キャラクターをデフォルメしすぎ」です。これではドラマとして感情移入できません。基本的な設定は良いだけに残念です。

確かに、この映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は原作がマンガである。
ビッグコミックから出ている西岸良平の「三丁目の夕日 夕焼けの詩」である。私は同じ作者の「鎌倉ものがたり」のファンで、そちらばかり読んでいるのだが、確かに、あまりにデフォルメされたキャラ、あまりにマンガ的なストーリーに登場人物ばかりではあるが、だからといって、マンガマンガしたマンガであるとは正直思っていない。これほど淡々とした、読んでいてしみじみとさせる漫画、そして漫画家も少ないのではないか、そんな風に思っているほどだ。

仮にマンガちっくなのだとしても、それは西岸良平のタッチと絵柄によるキャラだからこそ許せるのであって、それを三次元の、フツウのサイズの人間役者が演って、それで原作どおり、などといわれたら、暴動を起こしたくなる。

例えば、手元にある51巻から、これぞ西岸良平的!と私が思うエピソードをあげるとすれば「秋のソナタ」であろうか。あと「雪」!こちらも捨てがたい。まっとうすぎてひねりがない、クソ面白くもないという向きもあるかもしれないが、こうした何気ない庶民の日常を淡々と描き続けているのが西岸良平の「三丁目の夕日 夕焼けの詩」の世界である。

(だから、ことによったら一番近いのは、あの賛否両論というか壮大なムダだったのではないかとさえいわれるジブリの某アニメのようにも思うのだ。特撮を生かし、話を面白ろ可笑しく描きたいのであれば、なぜ「鎌倉ものがたり」のほうを選ばなかったのか…)

人形つくって魂いれず……ということになっていないことを祈るのみ。ところで、この映画で特筆すべきは、東京タワーかもしれない。邦画で、映像として、作られつつある東京タワーなんてものが描かれるのは、もしかしたら初めてのことなのではあるまいか。なぜなら、邦画、それも特撮においてはなおのこと、東京タワーとは壊されるものであったからだ。そうか、「三丁目の夕日」も作らずに壊しちめえば良かったのだ!………おい

さて、もう一本の、たけしの新作について、どういってるかというと、

そしてもう1本は『TAKESHIS'』。その昔、北野武監督はビートたけしの名前で映画批評を書いていて、黒澤明監督の『夢』という作品を「観客がみんな夢を見ちゃった(=寝てしまった)」と批判していましたが、この『TAKESHIS'』はタケシ版の『夢』と言っていいでしょう。どうも映画監督は巨匠とか大家と呼ばれるようになると、自分のプライベートを集約した作品を作りたくなるようです。夢の中の夢、という不条理でシュールな展開は、映画としては完全に壊れています。

この批評で思い出されたのが、昔、ビートたけしが週刊誌上に載せた劇場版「ツイン・ピークス」評だった。彼はあの迷作を「わけわからん」といって切り捨てた。
今は流石に「それ、なに?」という人も増えたであろうが、奇才デビッド・リンチの手がけた伝説のテレビドラマである。カイル・マクラクラン(今はどこへ行ってしまったものか)を主演に据えたオカルティックでホラーチックで、ふしぎで不気味なミステリーであった。当時の日本での盛り上がり方は、全くもって当代の「24(トゥエンティ・フォー)」と同じ。レンタルビデオ店で、早く次のテープが借りられないかと血眼になっている人間続出、という人気作だったのだ。私も無論、ハマった人間の一人である。赤いカーテンときいてニヤリとしたり、ふくろう、と聞いて、ハリー・ポッターではなく「ふくろうは、ふくろうであって、ふくろうではない」と応えられる人間や、ダイナーにいってチェリー・パイを頼む人間は、まちがいなくTPファンである。

まぁ、今となってみれば、たけしのこの評は適切だと流石の私も認めざるを得ないのだが、しかし、特殊なフィクションとして、そのジャンルの約束事に照らしみれば、あのストーリー、テレビも映画も、順当に理解できるのである。それを、わかった風にいわないのが、たけしの飾らないアーティストとしての良心だったのかもと思いつつ、なんだよ、あんたも「TP」みたいなもん作ってるじゃないのよ、という思いが、つい頭をもたげるのであった。

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