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2006年5月12日 (金)

「ダ・ヴィンチ・コード」と宗教との野暮な対立?

まもなく、話題作「ダ・ヴィンチ・コード」の公開である。
この作品、まちがいなく今年の映画界の、上半期最大の話題作であることは間違いないだろう。原作はダ・ヴィンチにキリスト教に取材し、世界中でベストセラー、映画は、トム・ハンクス主演で、今年のカンヌのオープニングを飾り、難解な内容らしい、ということで、公開前から副読本が目白押し。本屋さんの関連本コーナーときたら、どこもかしこも本が山積み……映画のパネル展示さえも公開前からやっているというありさま。一体、これであたらなかったらどうするんでしょ、という感じである。

関連商品の商魂逞しさのほかに、原作の盗作疑惑訴訟もあった。ベストセラーとなったらば、その権利は金の卵を産むアヒルみたいなもので、誰だってその恩恵に与りたいものだろう。気持ちはわからんでもないが、まぁ、騒いだところでどうにもならないぜ、という気分にもなる。

しかし、この「ダ・ヴィンチ・コード」に巡る話題は、そういった俗っ気の強いことばかりではない。この作品、キリスト教に題材を採っているだけに、当の宗教界からの風当たりも、かなり強いようだ。

例えば、

「ダ・ヴィンチ・コード」監督が宗教組織と対立 (ロイター)

[ロサンゼルス 8日 ロイター] 今月公開予定の映画「ダ・ヴィンチ・コード」のロン・ハワード監督は8日、作品にフィクションであることを示すただし書きを付ける必要はないとの見解を示した。カトリック教会の組織オプス・デイからの非難が高まりそうだ。

 オプス・デイは4月に同映画の配給会社ソニー・ピクチャーズに対し、ただし書きを付けるよう要請していた。

 映画の基となったダン・ブラウン著の人気ミステリー小説「ダ・ヴィンチ・コード」で、オプス・デイはイエス・キリストに関する真実を覆い隠すため殺人を企てる謎めいた宗教組織として描かれている。

私は個人的に、フィクション作品のあの但し書き「この作品はフィクションで、実在の団体などとは無関係です」というのが、好きではない。何故って?興ざめだからだよ。それと、フィクションはフィクション、そして現実は現実、そのあたりの区切りはきちんとつけているつもりだからだ。よく出来たお話を見て「これって、実は、事実に基づいてるのかも…」と思ったとしても、それは、お話の出来のよさに感じ入ってるに過ぎない。まさか、ホントだなんて思ったりしねえよ、へんっだ。

だからねえ、まぁ、この「ダ・ヴィンチ・コード」に関しても、まさしく「実在の団体などが名前としても出てまいりますが、この話はあくまでフィクションです」ってなもので、それは、例え、スクリーンに文章として出てこようが、出まいが、もう作り手と観客との暗黙の了解ともいうべきものだ。それでなくても、お話は、結局、作り物である。見る側は、それを分ってみていて欲しいものだ。

であればこそ、この監督の「この作品はフィクションであり、(略)これは神学でも歴史でもない。スパイ・スリラーにただし書きは不要」という言葉は頷けるのである。

とはいえ、このドラマの中でヤバい組織として描かれているオプス・デイにとっては、そこまで達観できないとしても無理はない。いや、ほんとうに、オプス・デイなるキリスト教の組織はあるんだそうだ。だが、現実には、そんなヤバさなどとは無関係な組織だそうで、しかも、この団体の設立は1928年だそうで(!)、それでどうやって2000年にもおよぶ歴史的陰謀に加担できるというのだろう! 確かに、日本語でもグッとくる音の響きをもつ組織名であるが(その意味は「神の御業」だそうだ)、ダン・ブラウンさんも、もちっと、そこは考えて、ヤバいことをさせるのなら、架空の組織名を作っておけばよかったのに、と思わないでもない。まぁ、小説のほうでしていなければ、映画化する際に、考慮すべきだった、という意見もあるだろうが。

(オプス・デイは、むしろ世界各国の右寄り勢力とのつながりがあるとのことで、となるとオカルティックやエソテリックなことよりも、かなり俗世な方面で活動する団体ということではないのだろうか? こちらを見ると「ペルーのフジモリさん」とのかかわりとか、興味深いことが紹介されている)

で、これは、劇中で、とんでもない役回りをさせられている実在の団体が、迷惑がってるというので、まだ比較的わからないでもない話だったんだけど、
次のものになると、いささか…それは、ちょっとというか、やはり宗教ネタって難しいわね、というか、キリスト教も、イスラム教とそんなに違いはないわねとでもいう感じになってくる。

「ダ・ヴィンチ・コード」に抗議してハンスト呼び掛け=インド(AFP=時事)

【ムンバイ9日】インドのカトリック団体「カトリック世俗フォーラム」は同国のキリスト教徒に対し、世界的ベストセラー小説が原作の映画「ダ・ヴィンチ・コード」がインドで上映されるのに抗議して、飢え死にするまでハンストを続けるよう呼び掛けた。  同団体のジョゼフ・ディアス事務局長は、ムンバイで10日に抗議集会を開くことを明らかにした。集会では「ダ・ヴィンチ・コード」の原作者ダン・ブラウン氏に似せた人形を燃やす計画であると述べ、多くの参加を期待していると指摘。集会は「我々の感情が傷つけられた事実を示すためだ」と述べた。

 この「我々の感情が傷つけられた」というのがね、まぁ、ネタにされている当の宗教をまじめに信心してらっしゃる方々からすれば、当然の言葉かもしれないけど、先の、「ムハンマド諷刺画」で感情をいたく害したイスラム教徒と、やはり変わらないんだなぁという印象になってしまうのですよ。

ちなみに、こちらの団体は、「ハンストは無責任な行動ではないと強調。物を破壊するよりも、キリスト教徒にふさわしいやり方だ」と仰っているそうなのですが、それでも作者に似せた人形を燃やすのでしょう……?穏やかじゃないねぇ? まるで反日デモで燃やされる日の丸か、小泉人形のよう……。(もっとも、私は熱湯欲ではないので、そのいずれもが燃やされてもどってことはないのですが)

で、バチカンの枢機卿がつぎのようなことを仰ってる

「ダ・ヴィンチ・コード」人気の背景に宗教的無知=バチカン枢機卿 (ロイター)

[ローマ 10日 ロイター] バチカンの枢機卿らが、近く公開される映画「ダ・ヴィンチ・コード」とその原作への注目が高まっていることについて、背景に宗教的無知があると嘆いている。

 映画のプレミアを5月17日に控え、バチカンの文化評議会議長、ポール・プーパール枢機卿は、小説「ダ・ヴィンチ・コード」が教会の歴史を著しく歪めていると非難する一方、一般人の多くがフィクションと事実を見分ける十分な宗教的知識を持っていないとの考えを示した。

何故、私たちは「ダ・ヴィンチ・コード」を批判するのか……これについて、バチカンの文部大臣のような方が口を開いた、と解釈してよろしいのだろうか。

実をいえば、私はくだんの本、未読なんだけど、それでも、まぁ、ものすごく身も蓋もない言い方をさせてもらえば、この内容って、学研「ムー」で、これまでキリスト教関連で、"イエスの真実"!とか"マグダラのマリアはイエスの子を身ごもっていた!?"とか銘打ってきたような、その手の、オカルトというか、ぶっちゃけた話、トンデモミステリーな類のネタなんだろうと思っている。「ムー」に載ってるんなら、みんなマジに受け取らなかったのに、ダン・ブラウンが書いたから、とか欧米のベストセラーだから、とか、そんな理由で、みんなネタではなく、マジに受け止めちゃってるんじゃないか、そんな気がする。まぁ、これは日本の、私の周囲においての話かもしれない。

まぁ、しかし、無宗教です、信仰している宗教はありませ~ん、を売り物にしているような日本のような国ならいざしらず、おぎゃあと生まれて洗礼うけて、なんて具合にキリスト教徒しているような国の方で、「ダ・ヴィンチ・コード」をもてはやしてるのは、確かに問題かもしれない。

にしても、あきらかにトンデモというか、仮説としても大胆不敵というか飛躍が過ぎて、SFか歴史ファンタジーだろう、といわれるのがオチ、というのが日本人の感覚なのだが、それに対して、「みなさん、物を知らないんですね、ほほほほ」というんでなく、この作品は教会の歴史を著しく歪めている、と非難しちゃうというのは、やはり、日本人の感覚からしたら、そこまでいっちゃうか?というものなのである。少なくとも私にはね。

例えば、これ、日本で言ったら、マンガ「孔雀王」に対して、高野山真言宗が、「あまりに荒唐無稽。われわれの宗門を著しく歪めている」というようなものですよ。…まさか、そんなこと、あったとかいわないよね(汗)。私が聞いた、あのマンガのクレーム話は、あまりに設定が、夢枕獏の一連の伝奇ファンタジーものに近いという指摘で、しかし、夢枕センセイはそれを笑ってお許しになったということだったが。

 小説では、イエス・キリストがマグダラのマリアと結婚し子供をもうけたが、バチカンはその事実を覆い隠してきたとされているため、キリスト教教会の強い批判を招いている。

私はこの説、初耳ではない。もう随分前に、「ムー」の記事で読んだことがある。マグダラのマリアという人の、なんともいえず、人を惹きつけるものとあいまって(キリスト教逸話のちょっとエキセントリックな人々はこちらを惹きつける。他だと、そう、サロメとか)、この説には魅了されたものだった。しかも、イエスの遺児を宿した(んだったか、産み落としたんだったか)彼女が、地中海を東に渡って、南フランスの地について、その血は、フランス王家にまで……という説は、実にロマンティックで、そして常識はずれだ
そう、これは、あくまで、荒唐無稽な夢である。日本にも似たようなのはある、例えば、日本全国にある「徐福伝説」。あの秦の始皇帝の命を受けて、日本にまで不老不死の薬を探しにやってきた徐福がここに来たという話が、日本全国にある。あるいは、あの楊貴妃が日本に渡っていたという「楊貴妃の墓」の話。はたまた、「壇ノ浦で安徳天皇は死んでいなかった説」とか、「本能寺の変で信長は死んでなかった説」「大阪夏の陣で、豊臣秀頼は死んでいなかった説」など……こういうのものは、それこそ枚挙に暇がない。
で、この「イエス・キリストとマグダラのマリア」の話は、魅力的である。だが、それは紙一重の美しさなのだと、我々は了解しておくべきである。それを証明する手立てはない。ロマンを心の内に抱いているのは個々人の自由だと思うが、だが、それを、外部に向かって「真実だ!」と叫びたてると、もう電波となる。あくまで、「そうだったら、面白いねえ」というレベルに留めておくべきだ、と私も思う。

 プーパール枢機卿は「基本的な知識がないために、寓話や空想、教会の歴史や価値に対する攻撃と、事実との判別が難しくなっている」と語った。

だから、まぁ、そういうレベルであれば、この枢機卿のお話に、頷けないものでもないのだけど、だがしかし、それだからといって、話そのもの、映画そのものを安直に批判していいものか、そういうことも考えるのだなぁ。

と思っていたら、5月11日、J-waveのヘッドラインニュースで、ギリシャ正教会は、「宗教的、歴史的観点から、この作品の内容は全く不正確だ」との指摘と、教会やキリストに対する信頼を傷つけるとの批判を表明したのだそうな。

「これはフィクションだから。信者のみなさん、お話はお話として、楽しんでね、でも現実を混同しないでね」ぐらいのコメントでは、けっしてありえないというのが、なんというか、やはり、これが真剣に信心している方々と、日本人の感覚との違いなんですかねえ。どうしても、たかがフィクションなんだから、野暮いいなさんな、という気分になってしまって。

しかし、

カンヌ映画祭の開幕日に地元警察がストを計画 (ロイター)

こんなコトになってるのに、開幕日に、警察がストだなんて……う~ん、大丈夫かいな(汗)。

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