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2010年4月10日 (土)

漫画規制をめぐって

観てないんだけど、本日のテレ東「週刊ニュース新書」でも、例の漫画わいせつ規制騒動をとりあげたようで、少々ビックリした。

東京都の青少年健全育成条例改正案は、とかく話題である。

4月9日の朝日新聞でも、反対の竹宮恵子氏と、賛成のアグネス・チャン氏と、それぞれの論説を大きく載せていたっけ・・・(オピニオン争論「マンガ・アニメの性描写規制」)

竹宮恵子氏は、いわずとしれた「風と木の詩」の作者である。まさか、あの問題作にして名作を読んだことのない人がいるとは思えないが、いま、巷に溢れている凡百のボーイズラブが束になってかかったところで、ビクともしない、その分野の嚆矢にして、おそらく空前絶後の傑作、金字塔である。あれを超える作品などありえない、とさえ、私は思う。

竹宮氏はいう。この条例改正案を読んで、これだと、「風と木の詩」は丸ごとひっかかってくると思ったと。

確かに。条例改正案は、マンガやアニメ、ゲームなどに登場する、18歳未満と判断される架空キャラクターの性描写を規制するという。ジルベールもセルジュのみならず、「風木」の登場人物のほとんどは、10代である。その10代が、暴力的なセックスはあたりまえ。反社会的で、堕落して、冒涜的な同性愛もビシバシと出てくる。まさしく条例案が問題視する暴力とかかわる性描写が、これでもかと登場する。

条例案が通ってしまった場合、「風木」は18歳未満が書店で買い求めることができず、さらには成人指定コーナーに並べられることになるのだろう・・・

そして、今後、「風木」のように問題意識をもった、しかし、性的な作品は、性的であるというだけで世をはばかるようにしか存在できなくなる・・・

それは、確かに、ゾッとする光景である。

だがしかし、アグネス・チャン氏の意見を読むと、考えさせられる。
明らかに子どもと思われるキャラクターが、繰り返し性行為をさせられ、性的な虐待を受けている。しかも、それをうれしがる。そんなマンガが、コンビニや有名書店に、かわいい表紙をつけられて並んでいる。こういう状況を放置していていいのか・・・?
マンガやアニメは現代日本が誇る文化であり、産業であることに、私も異論はないが、その中に、ひどい「ロリコン」が交じっており、しかも、現在の条例の中では成人指定できない。

確かに、アグネス・チャン氏のいうことは私にもわからないではない。高校のころ、クラスメイトの男子に読ませられた、とあるマンガ雑誌のことが思い出される。いろいろなマンガが収められていたが、中のひとつに、こんなものがあった。異星人に侵略された星の姫君が、その支配者の前で、兵隊に陵辱され見世物にされるというもので、SF的設定はされてあるが、ひたすらに姫君が陵辱されるだけ。姫君のデザインは、幼児体形、それがありとあらゆる辱めを受ける。いや、実を言えば、その雑誌に収められていたのは、全てそういう作品ばかりであった。絵もとりたてて巧いとはいえず、ストーリーは陵辱と淫乱のみ。正直、読後の感想はおもしろくなかった。いや、はっきりいう。不快であった。

当時、すでに私は「風木」を読んでいた。「風木」は最初のヒトコマから強烈なインパクトがあって、とにかく衝撃的であった。それに比べて、ひたすらに、性行為だけを描く作品には、正直不快としかおもわなかった。男子というものは、これが面白いのか、こんなもので満足なのか、と呆れると同時に、男女の感受性の差異につくづく感嘆したものだった。のちに「風木」のファンだという男性にもであったが、それは大分年長の男性たちであったことも、今にして思えば印象的である。

ただ、そういう劣悪なものを描いてはならぬ、とするのもどうかと思ったのも事実である。そういうものがいいという読み手はあるだろうし、事実、それは同人誌ではなく、一般の市場で売買されていた雑誌である。読むのも自由、買うのも自由。そして描くのも自由。売るのも自由。それは認められてしかるべきである。だが、しかし、とも思う。

何も知らずに、ただ、こればかり読まれてはなあ・・・ということなのだ。

これで良し、とされては困る。これがイイもので、「風木」はくだらんというのも困る。マンガ界で空前絶後の傑作と位置づけられている「風木」のよさはわかるようであってもらわねば困る。

そして、また、ただ性行為のみを描くあからさまなポルノ作品に巻き込まれ、「風木」が18禁にされてしまっても困るのである。

ところで、私個人は、今度の東京都の漫画ワイセツ規制のことで議論沸騰する人たち、それも描き手側を眺めていて、ある疑問を感じている。それは・・・

漫画の表現を規制するというが、では、マンガで表現したいのは、ワイセツだけなのか?

そんなにもワイセツばかり表現したいのか?

というものなのだが、

わたしは、ワイセツがみたくて、アニメやマンガをみているわけではないので、そこが、どうしてもわからないのである。

ただ、この条約改正がとおってしまって、「風と木の詩」が規制されるようなことだけは、あってはならない。それだけはいっておく。

[追記]この件に関して、規制反対・ワイセツ擁護の観点からアグネス・チャン氏を非難している意見を散見するが、そういう方はぜひ、こちらのブログをご一読になって見てはと思う。

山田奨治 BLOG マンガ・アニメのせい描写規制について思うこと

アグネス・チャン氏の論旨の根底についての、こちらのエントリの分析にわたしも大いに賛同するのである。

・・・(前段略)つまり、アグネスさんの論点は、
西洋近代キリスト教文化圏の道徳観に、
すばらしく適合しているということなのだ。
(中略)
さて、竹宮さんの論点は、
アグネスさんの、というよりも、
西洋近代的・キリスト教的児童観と対立する要素をはらんでいる。
(中略)
だが、「準児童ポルノ」の擁護者たちは、
西洋近代的・キリスト教的価値観に対して、
他の文化圏からも理解を得られるような反論ができていない。

というくだりは、非常に考えさせられる。
この漫画規制について、アグネス・チャン氏サイドをただ批判・非難しているのではどうにもならない。「他の文化圏からも理解を得られるような反論」を考え、展開する必要がある。

(ある自由を保障しようと思うなら、理論武装は必要である。で、反アグネス論者の意見はその要を満たしていない)

事実、アグネス氏の言をまつまでもなく、海外での日本のポルノまがいのアニメ・マンガに対する批判・非難は大きい。それは事実である。

私はちょっと夢想する・・・

このワイセツ問題というか、「準児童ポルノ」に関する考え方で、やがては日本は世界のガラパゴスと化するのではないか、とか、

あるいは、ポルノまがいのアニメ・マンガは、第二のクジラ・イルカ問題のように発展するのではないか・・・とか。
「準児童ポルノ」の部分を、捕鯨問題にいれかえても、ほとんど文章が成立すると思うのは、わたしの気のせいか?

まぁ、自己利潤の肥大に忠実な中国を、準児童ポルノのお得意様として確保しておけば、世界からの非難や規制も回避できそうな気がしなくもないけど・・・┐(´-`)┌

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