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2011年6月14日 (火)

“親”不在のアニメ「デュラララ!!」

先日、CSで、アニメ「デュラララ!!」をほぼ通しでみることができた。
残念ながら1話2話あたりは見逃しており、完全ではない。

第1シーズンのパワフルでブルースめいたOPテーマが実に印象的で
暴力的でありながら、どこか哀切のある登場人物とストーリーにピッタリだなと思いつつ
ハマってしまったのだが、

まぁ、池袋に降臨したデュラハンの物語と、妖刀を宿した少女の物語と
さらにカラーギャング抗争の裏に隠された少年少女の切ない事情の物語、
という風にざっくばらんに見させてもらった。

面白かったとは思うのだが、正直、第1シーズンのデュラハンと妖刀の物語が
日常と非日常のバランスが絶妙で、意表をつかれまくったのに対し、
第2シーズンのカラーギャング抗争のくだりは、少々退屈だった。
この物語のもつ非日常性が、さほど活かされておらぬと思われたのだ。
とりわけ切り裂き魔事件クライマックスの爽快さを見せられたあとだっただけに、
凡庸な結末とさえ思われた。

まぁ、いずれにしても、非凡なラノベ、そしてアニメ作品であることに異論はないのだが

見ていて、何かひっかかりを覚えたものだ。

その後、撮り溜めをしてあった「家庭教師ヒットマン・リボーン」を見ていて
何に引っかかったのか、自覚した。

「デュラララ!!」には、“親”がいない。

リボーンの綱吉が、様々な戦いを経ても、やがては家に戻り、やさしい母に迎えられ、その手料理に、仲間とともに舌鼓を打つ。登場人物のなかには、親がいない、あるいはいるんだかいないんだか想像もつかない者もいるが、綱吉のあの家庭風景は、「リボーン」物語の確固たる基底部分だと思う。

だが「デュラララ!!」では、登場人物の誰も彼も親の存在が希薄だ。
高校進学を機にアパートで一人暮らしをはじめた者。
母が父を殺し自害して天涯孤独である者。
モトカノとよりが戻ったら退学して姿をくらました少年。
弟の面倒を見る姉。
ストリートギャングたちは、街にたむろし、ある者は車中で仲間と戯れる。
バーテン姿の歩く暴力装置は、その能力ゆえに、家族から自らを切り離したのだろうし、
新宿に拠点をおく情報屋も、親の影も形も見えない。
唯一の例外は、闇医者くらいのものか。
もちろん、デュラハンに家族云々を問うのは無駄というものだろう・・・

もちろん、この登場人物で構成される物語世界のなかに親を登場させても無意味だというものだが、それにしても、さほど人生経験も豊富とは思えない、若造たちが、そろいも揃って親の存在を感じさせず、街を漂流している物語を眺め渡すと、なんともいえぬ気分になる。胸の中にわだかまる気持ちを敢えて言葉にするならば「これでいいのか?」「これがマトモなのか?」

いや、「これで彼らは幸せなのか?」とでもいうか・・・

まぁ、そういうことをいっても、車中で暮らすストリートギャングのオタ少年とオタ少女に、こっぴどく反論されそうだが・・・

そんな彼らが、団欒の食卓を囲むのは露西亜寿司・・・日本にあって、何故か寿司を握る北方からの漂泊者たちの店だ。いや、まぁ、美味ければ、なんだっていいのだろうし、街にたむろする若者たちらしいことなのかもしれない。だがしかし、あの異邦人の寿司屋で、食卓を囲んでいる若者たちの光景は、いまにして思うと、この物語を象徴するものがあるような気がしてならない。

親から切り離されたか、あるいは自ら望んで切り離してきたかはわからないが、家庭という絶対安全ヤサを持たず、街中を漂泊する少年少女たちの物語。

もし、日本中が、この物語の池袋みたいになってしまったら、私にはかなり生きにくい世界になることだろう・・・

「デュラララ!!」は確かに魅力あふれる物語であった。だが、私にはどこかで、最終的にこの物語を是とできない。

まぁ、私が是としようがしまいが、この物語はびくともしないだろうし、いまどきのラノベはそんなんばっかりなんだろうけどさっ!

それにしても、こんなにも街中を漂泊する少年少女なのに、学校生活というものはあるという物語・・・あの歩く暴力装置のような男にしても、情報屋にしても、その時代を経てきているという設定・・・ううむ、要するに、学校という平凡な日常、街中という非日常が起こりうるフィールド、そういうことなのかなあ?

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