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2012年2月11日 (土)

義賢と、六条大夫重俊についての覚書

為義の次男・義賢については、当時、事実上の嫡男だったのではと考えられるのだという。

嫡男というのは、長男を意味するのではなく「跡取り」である。

長男であれば、自動的にそうなれるのではなく、産んだ母親の出自とかその実家の勢力もものをいう。

嫡男扱いされてるかどうかの見極めは、いつの時代も、その人物が重要人物扱いされてるかどうかでわかるだろう。

この平安末期であれば、朝廷からどのような扱いを受けていたか、すなわち
官位官職を得ていたかでわかる。

というわけで、東宮の武官という官職を13歳で得ていた義賢と、
何にもなくて、東国にいっちゃった義朝では、
当時の社会の考え方では、どちらが嫡男扱いされていたかわかるというもの。

ものの本によると、父・為義と、長男・義朝は、不仲だったと、断言してるものもあるが
それも、こうした当時の一家のありようから導かれたものだと思う。

今年の大河では、義朝を、父のダメっぷりを知りつつ、それでも苦労する父をよく理解した、できた息子と描き、両者の親子関係を良好に描いているけど、これは従来の史観からすると、けっこうトンでるといえるw

さて、話はかわって

どんな人物だかわからない六条大夫重俊だが、

一応、河内源氏頼清流のなかに「源重俊」なる名前が見える。

だが、彼がここで問題としている重俊さんなのかどうかは、これだけではわからない。

ところで、為義と~ちゃんだが、「平家物語」などでは「六条判官」という異名があったことが知られている。

異名というか、当時の彼のあだ名である。それは、彼ら源氏の当時の居館が、六条堀川にあったことに由来するという。判官は、その役職からきている。

六条判官・・・なんだか六条大夫と似た感じがするのだが、気のせいだろうか。

やはりこの重俊、当時の六条あたりに暮らしていた河内源氏の一人だったのだろうか。

ちなみに大夫とは、遊女のことではなく、この場合「五位の者」の通称だと思う。

う~ん、誰なんだろうなあ。

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