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2012年9月15日 (土)

私が少女マンガで見てきた天智と天武

私が最初に天智・天武兄弟に接したのは、歴史書ではなく、少女マンガであった。

ビッグコミック連載の「天智と天武」が連載第二回を迎え、それが反響を呼んでいるからか、拙ブログへの来訪者も、その関連で検索する方が増えている。
第二回で大化の改新が断行され、哀れ入鹿は首を斬られ、蘇我本宗家も灰燼に帰した。月皇子もそのなかで黒焦げの死体となった。しかし、その入鹿の首をかきいだき、涙を見せた中大兄皇子は・・・これってなんてBLwww

それはさておき、

私がそもそも最初に中大兄皇子を知ったのは、マンガであった。

山田ミネコ先生の「緑の少女」という作品だ。
この話は、最終戦争(ハルマゲドン)シリーズ中の一編であるのだけど、そのシリーズの詳細は知らなくとも、十分独立した一編として読める。現代よりはるか遠い未来、すでに老化も死も克服し、時間旅行すら獲得したのに、人類はいきる活力を失っている。とある事情から主人公は、時間旅行の許可をもらい、はるか古代、額田王の時代へと向かう。そこで出会ったのは、あまりに幼くいたいけで、のちの万葉集で見られる力強い歌をうたうような女性とは程遠かったのだが・・・という物語。

このなかに中大兄皇子と、大海人皇子が、ともに登場するのだが、中大兄はそれこそ真面目でしっかり者の優等生で大人の男として描かれる。そして大海人はちょっと拗ね者で素直じゃない少年として登場し、幼い額田に思いをよせているが、まだ子供ゆえに、気になる女の子にちょっかいをだすしか能のない、しょうもない乱暴者だったりする。
そのしょうもない乱暴者が少しロマンティックな方法をとったらば、ほんの些細な誤解から、額田は中大兄に恋をし、それをきっかけに、いかにも子供だったのが、ぐんと大人びて毅然たる娘へと脱皮するのだ。
主人公は、その心の強さに打たれ、自分たち未来人のあまりの心の弱さとの違いに改めて思いをいたすという物語であるが、

ま~、この「緑の少女」には影響されましたね。まだ小学生でしたからねえ。初読は。
中二病どころじゃありませんよ。そこでの刷り込みは強いですよwww。学校で習うより先に中大兄皇子をバッチリ覚えましたよ。もちろん万葉集の「むらさきのゆき・しめのゆき」もしっかり刷り込まれました~www。

その後、少女マンガのなかで飛鳥時代の偉人にであうことはなかなかなかったのだが、しばらくして長岡良子さんの古代幻想ロマンシリーズで再会した。

長岡さんのこのシリーズは、古代飛鳥ではなく、古代近江京が舞台となっていることが特徴だろうか。いや、ま、シリーズ進んでいくと、奈良の都になるけどw そもそものスタートである「葦の原幻想」は、天智の息子・大友皇子のブレーンとして生きることを求められ苦悩する田辺史と、その家族の物語であった。最初よんだときは、史の弟と、その妻の妹が、どちらも古代の「まつろわぬ一族」由来の超能力者であるということにばかり目が行っていたが、よくよく考えたら、天智が作った都を舞台に、天智の息子の側近を描いていたのであり、しかも、その側近の父親が、のちのちシリーズで幼い藤原不比等少年を匿い養育する人物として出てきたりする。

シリーズの最初の頃こそ、古代大和朝廷に駆逐された原日本人と思しい「まつろわぬ民」たちは姿を見せるのだが、シリーズが進むにつれて、歴史に忠実な物語が展開するようになる。藤原不比等の生涯を描いた「天離れる月星」「眉月の誓」などは、ほんとうに絵で見てよくわかる「壬申の乱~天武朝」という感じだ。

その古代幻想ロマンシリーズでの天智天皇は、「夢の奥津城」「暁の回廊」で見ることができる。不比等の物語である「天離れる月星」でもチラと登場する。

かいつまんで説明すると「夢の奥津城」は天智天皇后、倭媛皇后を主人公に、その波乱の生涯と、彼女の視点からみた天智天皇像が描かれる。ぶっちゃけ、倭媛にとって天智天皇は親の敵であり、親の仇であった。にもかかわらずその后となり、こんな男!と思いながらも、最終的に、天智を愛するようになっていったという物語。

「暁の回廊」では、葛城皇子とよばれた少年時代が描かれる。ヤンチャで悪がきで破天荒。もう少し荒くれであったなら、戦国時代、うつけものと評判だったという織田信長だ。だが、少女漫画家の筆だからか、男性コミックのようにはオトコ男していない(^^;

総じて長岡良子さんの描く天智はいいオトコである。
破天荒でエネルギッシュに満ちていて、なるほどこれならば中臣鎌足が「この人こそ!」と惚れ込むのも当然と思わせる。そして色気に満ち、危うさもある。長岡版では天智天皇が同母妹の間人皇女と道ならぬ恋をして子供を成したという説も描いている。それら、ひっくるめて、敵だと憎んでいた倭媛皇后からも最後には惚れられてしまうようないいオトコなのである。これに比べると山田ミネコ先生の中大兄皇子があまりに端正で大人すぎて、面白味がないかもしれないw<おひ

ところで、ちょっと気になることがあって、長岡良子先生は、天武天皇についてはどう思っていたのだろう。人間らしい天智は、シリーズ中いくつもの作品に登場し、さまざまな顔を見せてくれる。しかし、その弟たる天武は、不比等の「眉月の誓」でシルエットでしか描かれていなかったような・・・? ここは「緑の少女」で、出来のいい兄に永劫のコンプレックスを抱えていたような拗ね者の大海人を描いた山田ミネコ先生に軍配があがる。優等生の兄に対する複雑な思いを少年期から抱えていたというのは、のちのちの壬申の乱にいたる天武の原初的な動機として、腑に落ちるからだ。

なお、私は同じ時代を描く里中満知子先生の作品群は読んでいない。・・・どうも、あの人の絵柄は惹かれないのである・・・昔から(^^;

さて、ビッグコミック新連載の「天智と天武」では、天智はまるで、「緑の少女」の大海人のようだ。目つきが悪い!

最近、ほんとうに中大兄皇子=天智天皇は傑物だったのか?という問いかけが始まっているそうだ。それが主流となれば、山田ミネコ先生が描いて見せたような、男らしく優等生で洗練された大人の中大兄皇子像も、長岡良子先生の、カリスマ性のある帝王然とした天智天皇像も、薄らいでしまうのかもしれない。

【追記】
「暁の回廊」は、古代幻想ロマンではなく、歴史ロマンシリーズなのだという。
どうも、何か長岡先生の状況に変化があったらしい・・・

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