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2012年9月 6日 (木)

新連載「天智と天武」

雑誌ビックコミックで興味深い新連載が始まった、タイトルは「天智と天武」である。

少し前のことだが、私はある話題に没頭していた。
・・・奈良朝の女性天皇継承リレーや、泉涌寺における天武系奈良朝天皇の扱いのことなどから、私は、天武天皇は「赦されざる天皇」で、時勢もあって登極はできたが、時置かずして、その血筋は排除されるべきものと考えられるようになり、あの奈良朝の女性天皇による皇位継承リレーは、皇統を天智系に復する為だったのではないか、と素人考えではあるが常々思っていた。あの光仁天皇の皇后・井上内親王の廃后も、彼女が天武系だったから、と考えているほどだ。

そういうことがあった直後なので、ビッグコミックでこういう新連載があると聞いて、非常に期待していた。

まず最初に鼎談があった。漫画の原作者・作画者と、梅原猛の鼎談である。これを読んで、タイトルこそ天智と天武だが、漫画の作者たちは、事態の核心は、聖徳太子と蘇我入鹿にこそあると考えていることがわかった。そういえば、前号の新連載予告では、天智・天武、蘇我入鹿、そして聖徳太子の4人を焦点に描かれる、みたいなことが書かれていたっけ。

鼎談が終わるといよいよ漫画本編のスタートである。
天智と天武といいつつ、明治17年フェネロサと岡倉天心が法隆寺夢殿を開け千余年ぶりに救世観音を解き放つところから始まる。フェネロサと天心を迎えた夢殿内部の様子・・・これは史実なのか。いやはや、なるほど、これは曰く付きの物件だw。

フェネロサと天心の当惑を平然と見つめる救世観音のUPを1頁まるまる使って描いたかと思ったら、頁をめくると、古代の涼やかな青年の姿がこれまた丸々1頁使って描かれる。作中には法隆寺の老僧に「化身された聖徳太子のお姿」と語らせているが、この描き方では、漫画の作り手のほうは、この青年こそが救世観音のモデルと考えているかのようだ。

この青年は誰だ?と思うと、なんと蘇我入鹿だという。

ときは皇極4年。ところは都の学堂。蘇我入鹿と、中大兄皇子(のちの天智天皇)が、日本の秀才たちのみならず、高句麗、新羅、百済の王子たちと机を並べ、渡来の僧から学んでいる。百済の王子といえば豊璋だが、彼も勿論いる。

物語は、入鹿を眉目秀麗で成績優秀なだけでない聖人君子風に描く。その一方中大兄皇子は美形ではあるが目つきの悪い陰険男風に描いている。そして、なんとなんと、入鹿は、中大兄皇子の母・皇極天皇と一子をなしている、という設定だ。時の権力者と大豪族の御曹司の生臭い話だが(実際、入鹿が女帝の情夫であったとする俗説もある)、それでも入鹿は涼やかに描かれている。自分と女帝の不義の子である月皇子と、中大兄皇子の仲をとりもとうともする。

どうやら、この月皇子が、大海人皇子、つまり後の天武天皇であると考えてよさそうだ。

天武天皇の出自については様々な説があるが、入鹿との間の子供というのは考えたこともなかった。なるほど、これなら、彼の血筋がのちのち「排除」されても頷ける。まぁ、これは後の展開を待ちたい。

本作はもう一つ、意外な人物が歴史の重要人物だとしている。あの有名な蹴鞠のシーンで、中大兄に沓を捧げもつのが、なんと、上述の豊璋なのだ。

中臣鎌足が、実は豊璋だった・・・えええ!? では、一体、どうして記紀で、中臣氏と結び付けられたのか。その出自を隠すことになったのか。まぁ、これも後の展開を待ちたいが、まぁ、後に壬申の乱に発展する、古代日本最大の兄弟ケンカが、どのような新解釈によって描かれるのか、大いに楽しみである。

【追記】気になったので、豊璋でググってみると、「鎌足=豊璋」説が、この漫画以前に既出であることを知った。有力な出所は関裕二「藤原氏の正体」という本で2002年の刊とある。関氏は1990年代以降に盛んに著述を行い、主に古代日本史の分野で斬新な説を唱え注目を集めているらしい。トンデモという評価がある一方、あの松岡正剛氏がこういう評価もしている。処女作は91年「聖徳太子は蘇我入鹿である」・・・ほほぅ。この漫画で救世観音のアップが蘇我入鹿に転じたことを思い出す。ということは、本作「天智と天武」は関史観の影響を受けた歴史コミックということになるのか?

にしても、「鎌足=豊璋」・・・魅惑的ではあるが、何故、豊璋はそこまで徹底的に素性を変えて帰化しなくてはならなかったのだろうか。ほかの半島人はけして素性を隠していない。渡来人であることを堂々と明かして、日本での氏姓を得て名乗っている。そもそも彼の弟の百済王子が帰化して「百済王氏」という氏族になっているのに、それなのに何故彼は鎌足に転じなければならなかったのか? そこが、この説に首肯できない最大のネックだろうか・・・。

さぁ、新連載「天智と天武」では、そこのあたり、どう描いてくれるだろうか(^^)

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