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2012年10月 5日 (金)

ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」を見る

ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」がCSでかかっていたので見る。

たしか2006年カンヌに出ているんだったっけ。で、その際、審査員が上映中にも関わらず抜け出してて、バーで一杯ひっかけてたとかいう噂があるんだよな・・・まぁ、あくまで噂ですよ、あくまでw

でも、試写でブーイングが起きたとかいう話もあったし、主演がキルスティン・ダンストということもあり、あまり期待していなかった。

ところがところが、見てみると、これが案外悪くない

極めてガーリーな青春映画という切り口で、あのマリー・アントワネットを描く。なるほど、ものすごく腑に落ちる。

どういうことかというと、常々、マリー・アントワネットという人物について、どうしてあんなにしょうもなかったのか、と思っていたから。

だって、母親は、あの女傑マリア・テレジアでさ、実家は西欧を半ば以上制覇していたハプスブルグ家でさ、容姿もピカイチなのに、彼女当人の話ときたら、なんだか全然パッとしないじゃないか。

とはいうものの、マリア・テレジアの数多い子供の中で、傑物というほどの人はいなかったかな。傑物の子供がやはり傑物ということは案外少ないよなあ・・・イギリスのヘンリー8世の娘のエリザベス1世のような例はあんまりないよなあ。

とにかく、ソフィア・コッポラが、マリー・アントワネットを、歴史上の有名人物だから特別扱いせず、家柄容姿ともにピカイチでも、中身はそこらにいる普通の女の子という風に解釈したところが、この映画のキモであり、それさえ受容できれば、導入部から2/3あたりまでは至極納得できるのではなかろうか。英雄でもなく、英邁でもない、ただ家柄と容姿がいいだけの10代の少女が、ぽ~んと異邦に置かれることの、痛々しさ

しかも、彼女は、とてつもない地位にもついたのだ。思慮深くもなんんともない、ただの小娘が大フランスの皇太子妃に。え~と、当時ルイ15世の王妃って存命だったんだっけ・・・恐らく逝去してたと思うんだけど、王妃不在なら、皇太子妃が宮廷で最高位の女性だ。いや~、あんな世間知らずで浅慮な小娘が、いきなりそんな地位に。あ~、これは別の意味で痛々しい。

案の定、満たされない心のはけ口として衣装道楽・放蕩三昧。なにか宮廷でつらいことがあると、すぐに放蕩シーンとなるので、映画は極めてわかりやすい。その放埓なまでの放蕩と浪費が、ルイとの性生活の成就・長女の出産を機に鳴りを潜めるというのを見ても、やはり映画はうっぷん晴らしと捉えていると思う。

この映画への非難に、「マリー・アントワネットをパリス・ヒルトンみたいに描いてケシカラン」という趣旨のものがあるらしいが、はっきりいって、どうしてそれがいけないの。そういう理解でいいんじゃない? まぁ、歴史上の人物を、現代のわかりやすい例に置き換えるっていうのは、テレビのバラエティ番組みたいな手法で、史劇にはふさわしくないっていうんだろうけど、いや、そういうことだったんじゃないだろうかねえ。マリー・アントワネットってパリス・ヒルトンとか、「ゴシップ・ガール」に出てくる女子みたいなもんて理解でいいんでない?見ていて、そう思いましたよ。

あるいは、この映画の批判で「フランス宮廷はアメリカのハイスクールとは違うのよ」的なものもあるらしいが、まぁ、マリーにとっては、宮廷も、現代アメリカの超お嬢様学校も同じものかもしれないねえ。現代にマリー・アントワネットを連れてきて、アメリカの富裕層を見せたら「楽しそうねえ」っていいそうだよwまったくw

ソフィア・コッポラが、ここまで、ガーリーに描き切ったのは、やはり、現代アメリカ富裕層にも、貴族性を見出し、当時のフランスと相通じると思ったからではないのかねえ。とにかく「持てる者の驕慢・憂愁」ということでは、同じことではないかねえ。そういや、劇中さんざんフランスがアメリカを支援して資金難とやってましたが、面白いですねえ。

「王国時代のフランスとか、宮廷とかっていうけど、現代と同じよ」ってソフィア・コッポラが開き直ってるんじゃないかとさえ思える。だが、それが小気味いい。劇中音楽のチョイスにもそれが表れていて(一番顕著かも)、クラッシックな曲(主に宮廷の公の場)と、ポップチューン(マリーの放蕩シーン)とが交互に流れて、まったく違和感がない。うん、実に面白かった。モーツァルトが現代に生まれていたら絶対ロックをやっていただろうって話があるが、マリーもまたポップミュージックにはまる口だね絶対w

面白かったといえば、ルイ16世の描き方だったなあ。
例えば、マリーがお忍びで仮面舞踏会に行くとき、 彼も一緒についていく。あれには驚いた。放蕩仲間だけでこっそり行ったんじゃなくて夫同伴!これは原作にそう書いてあるのだろうか、史実なのだろうか。だとしたら隠し事なく実にいい夫婦じゃないか。
オペラを見て、無邪気に拍手をし、演者を称賛するマリーを見つめるルイ。朴念仁の彼がマリーを意識し始めるのを雄弁に語る場面だった。そしてそして、離宮でのマリーのオペラにスタンディングオベーションするルイ! お前、そこまでニョーボが好きか!と大笑いさせていただきました。

しかし、その時、すでにマリーはフェルゼン伯と一線を超えていたわけで…これまた、ちょっと意外だったんだよね。結構、二人はプラトニックだったんじゃないか、という見方が強いから。これまた原作にそう書いてあったからなのかどうかわからないけど、ソフィアは二人は肉体関係にあった、と描いちゃうのねえと。やはり、これもまた、アメリカ富裕層のリアルライフが反映してるのだろうか(ドラマなんかだと、富裕層の奥方たちは、たいてい不倫してますよなあ~。夫も妻も恋人がいて、というのは、まんまブルボン朝のフランス貴族と一緒だ)。フェルゼンを女たらしみたいにいってるのも意外だったなあ。どうやら自分は「ベルばら」フェルゼン観に相当染まっていそうだw でまた、マリーがフェルゼンと肌を重ねるときのBGMがアダム・アントなんだぜ!

とまぁ、ガーリーなマリーというのも、ある程度までは小気味よかった。だが、終盤に近付くにつれ、ちょっと物足りなくなってくる。

やはり、これは、フランス革命という重い歴史のポイントなのだ。だが、そういった時代とか社会とか、いわゆる史劇が重点を置くであろうことを、この映画は一切描かない。もう、メルシー伯爵からの真摯な問いかけが、マリーには単なる宮廷ライフのお喋りに過ぎなくなってるもんなあ(^^;

う~ん、でも、やっぱり、それがマリー・アントワネットが、断頭台で首を斬られるまでに至った根本原因のようにも思う。彼女は賢明でもなんでもなかったのだ。英雄でも英邁でも、思慮深くもない。だから、彼女の視点に立って描くのなら、いわゆる史劇的な要素は入り込みようがない、のかもしれない。

そしてフランス革命というのは、海の彼方でアメリカが王侯貴族の支配から脱し共和国を作ろうとしていたように、封建的な一握りの特権階級が大多数を支配するのではなく、その支配されるばかりだった身分なき大多数が声を上げた歴史の転換期だった。身分なき平民のなかに、さまざまな意思や才能をもった人材が登場し、彼らが時代を動かし始めたのだ。だとすれば、王侯貴族のサイドにあるマリーが英邁でないというのは当然なのかもしれない。

だがしかし・・・それでは、やはり史劇としては物足りない。だが、この映画に史劇を求めるのがそもそも間違っている気もするし・・・ううむ、堂々巡りであるなあw

もう少し、ソフィア・コッポラが年を重ねて、50代とか60代とかにこれを手掛けていたら、もっと違った視点が盛り込めたかもしれない・・・なんて思ったりもする。今はまだ彼女は、ガーリーなんだろう(もうイイ年だけど)。だからこそ若いマリーの描写にはなんの違和感もなかった。しかし、ある程度、年を経てからのマリーには説得力がないように思うのだ。それはソフィアに実体験、あるいはそれに次ぐ実感がないからではなかろうか・・・。

序盤に比べ、終盤はかなり駆け足な印象が。待望の長男の夭折とか絵画だけ?え?という。ああいう描写は、いい年になっても心根ガーリーだからソフィアわかんな~いてことなのかと思っちゃうのだよねえ。

物語序盤、画面を支配していた、美しくも愛らしい小物やお菓子は、終盤消え失せ、色調もパステルトーンはどこへやら。確かに、これも絵的には雄弁なのかもしれないが、これだけではちと物足りない。まぁ、それが、この時点でのソフィアの限界であったものか。

とはいえ、

観終わって、なんだか切なさが残る映画であった。それは、途中までは面白かったのに、なんだか惜しい物足りない、という意識であるのだが、、やはりマリー・アントワネットという存在そのものに感じる悲しさだろうか。

映画は、国王夫妻が革命勢力によってパリへと連行されることになり、ベルサイユを馬車で後にするシーンで終わる。これがマリーが輿入れのときベルサイユ入りしたのと、対になっている。馬車の進む方向も丁度逆。日本公開時、こんなところで終わるの?と怪訝な声が上がったという。「ベルばら」ファンには物足りないかもしれないが、この映画はマリーがベルサイユに来た時に始まり、ベルサイユを出て終わる。マリー・アントワネットが、ベルサイユで、トランスレイションしていた・・・そういうことなのだろうかなあ。

しかし、ソフィア・コッポラ、どこまでガーリーでいくんでしょうね・・・

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