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2012年12月15日 (土)

他国から人質をとるほどだった古代日本?

「天智と天武」とちと関連しての話なのだが、古代日本は、他国から人質をとるほどだったということは、そこそこの強国だったのだろうか。

マンガ「天智と天武」の第一回を読んで、それまで深く考えていなかったことに、ふと思い至った。

マンガのなかで、古代日本の都の学問所にて、蘇我入鹿が立て板に水、学のあるところを示す。その学問所のなかに、中大兄皇子あり、百済の豊璋あり、そのほか、半島の王族の子弟の姿あり・・・

これら、豊璋や半島の王族たちは、人質だという。

ということは、古代日本は、よその国から人質をとるほどの「強国」だったということか?

半島の朝鮮諸王国の王族から古代日本が人質をとるということは、やはり、さらに古代の神功皇后の新羅征討に由来するということなのだろうか。

戦後の日本史アカデミズムは、神功皇后の実在性も疑問視し、さらに戦時中の植民地政策に関連して、この新羅征討はタブー視されているので、議論が深まっていないとか聞くが、やはり、半島にとって、古代日本・大和朝廷は、人質をおさめなくてはならぬほどの軍事的脅威であったとすれば、それ以外に考えられない。このこと、日韓の関係史として、直視しないことにはあかん事柄なんじゃないかって思うのだが。

それにしても、古代日本は、いつ、近隣の国から人質を取るほどに強い国になったのであろうか。

記紀の記述を読んでいると、なにか、国家の発展ステージとして、一段か二段くらい、抜け落ちているような気がしてならない。

例えば、近隣の諸国に、人質を差し出さなくてはならないような、弱い時代はなかったのだろうか?

なんだか、そういうことが気になって堪らないのである。

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