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2013年3月12日 (火)

贔屓のシリーズが失墜していく曲がり角~コーンウェル検屍官シリーズ「警告」から「痕跡」までを読了して(1)

栗本薫という作家の失墜も悲しかったが、こちらもなかなかのものだ。いやなに、パトリシア・コーンウェルの大傑作シリーズ「検屍官」がちょうど失墜していく過程を読了したのである。

今でもはっきり覚えているが、栗本薫が失墜したのは「魔都」である。
その出版は、大々的に新聞の2面あたりの下三分の一を、表紙イラストでもあった木原敏江のイラストがデカデカと掲載されており、出版社にとっての、そして本の世界における栗本の存在の大きさを証明していた。そして、それを読んだ自分は、・・・・・・あまりのことに、「なんだ、これは?」と絶句したことを覚えている。いや、いくらなんでも、ここまで自分の趣味の世界に突き進んでしまったらアカンだろう、と。その後、二度と、栗本の新刊があの「魔都」のような扱いを受けることはないまま、栗本は逝った。

今しがた「黒蝿」のアマゾンにおけるレヴューを読んできたところだが、おそらく、あのときの自分の、栗本に対して感じた幻滅と失望を、パトリシア・コーンウェルのファンの皆さんは味わったのじゃないかと思う。

実をいうと、私は最近になってコーンウェルの「検屍官」シリーズを再開したところである。

シリーズ第一作こそ、評判を知ってからだから、出版後しばらく経ってからだが、その後は文庫本は本屋に並ぶと同時に購入していた。

とにかく傑作だと思った。
刑事が足で追ったり、超人的な推理を誇る名探偵というのではなく、科学捜査という局面から語られるミステリ。それも死体を中心に、である。しかも、その死体やら科学やらを担当するのは女性の法医学者ときている。しかも、単なる警察組織の一員、というのではなく、バージニア州の検屍局長という責任ある立場にある。そして、その責任ある立場に付随する政治的なアレコレ・・・

主人公は、もう極めてストレスフルなのだ。
現場には科学のなんたるかを理解しない粗野な警官たち、女というだけで低くみたがる男たち、捜査のために(そしてその後に控える裁判のために)誤謬は許されない科学捜査、そして行政の一端に属している以上おしよせてくる政治的難問(てか高尚ぶった嫌がらせ)、それらを抱えながらも、凶悪事件の犯人を追わなくてはならないヒロイン。一人称で語られる物語は、彼女の内憂外患を反映して、と~っても陰湮滅滅。けっして楽しくない。だけど、秀逸。手に汗握るミステリーで、90年代を通じて傑作の呼び声高かった。

女が仕事をする、そして、その分野で頭角を現すって大変(^^;と思わされたものだった。「科捜研の女」榊マリコが、京都府警で、警察上層部と対立するなんて、可愛いものである。いや、彼女は実に充実しているし、恵まれていると思うね。働く女のリアルってものを充分に感じたものだ。そして、ただ働きマンなわけじゃない、彼女はアメリカの知的エリート。その趣味のよさ、教養、そういったことも、物語に盛り込まれている。さらにさらに、働く女性で、責任ある立場にありながら、彼女は料理上手ときている! 離婚歴アリじゃなかったら、ウソくさくてたまらない。

なんたって、職場である検屍局の内装インテリアから、職員が読むべき蔵書、観葉植物にまで、彼女は目を配っている。料理の腕をいかして、職場のメンバーを招いてパーティでは料理をふるまっているほど。

どうしてここまでパーフェクトにしなきゃならないんだろうかね(^^;ともチラと思ったこともある。ただ、まぁ、そういう人間だからこそ、単に美人でまわりからチヤホヤされて男たちを動かしてことを成してしまうようなとんでもないヒロインとかじゃないから、事件の陰惨さや、人間の悲痛にリアリティを感じることができたといえる。事件解決だけでなく、ありとあらゆることに完璧さを求めるヒロインだからこそ、優秀なんだな、と素直に思えた。

そして、何よりよかったのは、ヒロイン、ケイ・スカーペッタが、自分の優秀さだの露ほどにも感じていないと思えていたことなのだ。途轍もなく優秀で、結構な成果を遂げてきた人間の癖に、世間の評価など微塵も信じていない。そして、常に目の前のことに(それが事件のための死体解剖であれ、料理であれ)きちんと取り組んでキッチリやり遂げねば、どうにかなってしまうと強迫観念に憑りつかれているのではないかというくらいなのが好きだった。

だから、作中にちらと、ケイは美人とか書かれていても、それほど気にならなかった。外見の、いってみれば、骸骨の表面を覆った皮膚の造作が多少ととのっているからじゃなく、彼女が物事に手を抜かず、些か強迫神経症的に自分に満足せず、貪欲にパーフェクトに務めようとしていることがケイ・スカーペッタの本分であって、多少見目よくても、逆に彼女がけして若くない「オバさん」といわれる年齢層にあることも気にならなかった。

それに、真面目に学生のころから医学に励み、単なる一法医学者として優秀なだけでなく、行政機関から責任者として迎えられるぐらいなのだから、若いんじゃリアリティがない。

というわけで、90年代を通じて、ほぼ心酔していた「検屍官」シリーズであったのだが、「警告」を99年12月に発売してすぐ本屋で買ったものの、途中で手が止まってしまい、そのまま10年以上放置した。再開したのは、2012年本の整理をしていて、あ!途中だったんだ!ということに気がついたときである。

実を言うと、心酔していたシリーズと書いたけど、実を言うと・・・少し前から不満を感じるようにはなってきたのである。それは、具体的にはどの話か分らないのだが、恐らくは、ケイ・スカーペッタが、主要キャラの一人ベントン・ウェズリーと男女の仲になってしまった頃だと思う。できることなら一線を超えて欲しくなかったと今も思う。

その恋人ベントン・ウェズリーが死んだのが「業火」。私はいまシリーズ第9作めのこの話の詳細を思い出せない。だが、10作目である「警告」を読んでなんだかなあ、と思ったのは、おそらく「業火」とも関連しているはずだ・・・だが、すっかり9作のことを忘れていた。そして、ケイとベントンがぐずぐずの関係になっていったことも忘れていった。最初に「検屍官」シリーズに感じた不満の最大の要因を忘れたことが幸いしたようで(忘却は人間にとって幸せを安堵してくれる装置というのは本当だなあw)、それで、すべてをリセットして「警告」を読み通すことができたのである。

そして、また10年以上も離れていた「検屍官」シリーズを読み始めたのであるが・・・

「警告」はまだよかった。
というより、シリーズで初めて、ケイ・スカーペッタが政治的にイヤな思いをさせられていることが具体的に描かれる。まぁ、既述した「政治的という名の高尚な嫌がらせ」である。まさか、ケイがインターネットでなりすましの被害に遭うだなんて!しかし、こんなの弁護士なりなんなりたてて然るべく否定をすればよさそうなもんなのに・・・と思わなくもない。勿論、それがケイ・スカーペッタのキャリアを暗転させる契機であったことは読んでいて充分納得させられる。そして、女の敵は女という古来よりの名言を認識させてくれるような、逆の意味で魅力的なアンチ・スカーペッタなキャラの登場。ケイは、彼女たちによって、気がついたときには、かなり危ないところに押し込められていたのである。全てはケイがベントンの死に打ちひしがれて日頃の用意周到さや警戒を失っていたからである。9回表までの完全なる負け戦の気配・・・もちろん、その渦中にあっても、ケイは科学捜査を怠らない。そして魅惑的なジェイ・タリーの登場(w)。さらに魅惑的なのは、巻末の解説が児玉清さんであったことだ(合掌)。

続く「審問」もまだ許せる。が、しかしである。

まず軽く驚かされたことがある。それは「審問」が「警告」と地続きであったことである。それまでシリーズは、それぞれ独立した話であった。それが「審問」は完全に内容的に「警告」なくては成立しない。「警告」で登場した全てが「審問」で扱われる。惨殺事件の犯人《狼男》は捕らえられたというのに、すんなり裁判に向けて進んでいかないし、ケイのアンチは殺されたあともなお彼女を苦しめる(なんたって、ケイが容疑者扱い)、うんでもって、ことによるとベントンの後釜となってシリーズを牽引していくことになるのかな、と思わされたジェイ・タリーはよりにもよって《狼男》の双子の弟!うへぇ!てなもんである。

まぁ、それでも、微細にディティールを描いて、ケイはあれこれ心労を重ねながらも事件の真相を追って、まだそれまでの「検屍官」シリーズといえると思う。ジェイ・タリーがこんなとんでもない悪党だったというのは、個人的には残念であった。いや、ほんとに。シリーズがこれからも続くのであれば、ベントンの位置に、ベントンに変わる魅惑的な男性キャラがいていいと思ったからだ。それをこんな風に扱うとは。まぁ、さすがコーンウェルというべきなのかもしれない。

また前作「警告」で登場したアンチ・スカーペッタなキャラも相当印象深かったが、この「審問」ではそれ以上に魅力ある女性キャラが登場する。困難な状況にあるケイに助け手をさしのべる静謐なる賢女アナ・ゼナー女史と、パワフルで下手をするとケイを食ってしまいかねない女検事ジェイミー・バーガーである。全編を通じてここまでケイが追い詰められた話はなく、そしてその渦中にあって敵か味方か見極めが難しかったジェイミー・バーガーと意気投合した上でのラストシーンは、胸がすっとしたものだ。リッチモンドでの失脚は些細な問題だ・・・彼女は職を追われたわけじゃない、彼女のほうで狭いリットモンドを飛び出し、広大な世界へと船出していくのだ・・・犯罪事件は広大で、彼女のスキルと意志を必要としている現場がいくつもあるだろう、そうだ、ときには、ジェイミーと今度こそタッグを組み、捜査にあたる女傑たちの活躍が描かれるかもしれない。そこにはルーリーの姿もあるだろう・・・そんな期待がまだ「審問」を読み終えたときには、あった。(続)

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