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2013年3月19日 (火)

アンチ「The killng」な人はもしかして「さとり世代」な人かもしれない

デンマーク産ドラマ「The killng/キリング」を評価しない人というのがいる。もしかすると、この人たちは「さとり世代」かもしれない。

昨夜18日(月)「The killng/キリング シーズン2」が最終回を迎えたわけだが、

私はまだ見てないw

てか、先週土曜日に放送された9話も見てないんで、最終回10話のことはなにとぞご内聞にね~。

これから楽しく見るんだから(^^)

さて、私などは、このデンマーク産のドラマ)「The killng/キリング」大好きで、シーズン1の第1話からたまんなくハマってしまって、勿論、あのシーズン1の最終回でも充分OKなんだが、

世の中には、この「The killng/キリング」を評価しない人というのが少なからずいらっしゃる。

大体、こういう人の意見は、次の2点に集約されるようだ。

  1. 長い。アメリカのドラマだったら1話、のばしたとしても精々前後編で2週で終わりの話を、なんで20話もひっぱるのか理解できない。
  2. ルンドが無能。

1の方はなんともご愁傷様としかいいようがない。それならそれでお好みのアメリカドラマをご覧になればいいだけのことだ。今日本にいながらにして、CSで視聴するのもありだし、なんならツタヤあたりでソフトを借りてくればいい。

2の方は、ルンドがラマ先生を逮捕したあたりで、ルンド=無能の烙印を押してしまっていて、それはシーズン1を通して修正されることはなかったようだ。

ただ、あの時点で、被害者の周辺を洗うという捜査の基本からしたら、それは家庭か学校か二つに一つであって、担任のラマ先生が挙動不審であったのは事実だったのだ。

これは、私がルンドを一目見て気に入ってしまった「ルンド贔屓」だからかもしれないが、私は「キリング」を語るとき、ルンドをたびたび猟犬に例えてきた。だが、ほかにいい例えが見つからないのである。彼女は、ほんとうに目の前に事件があれば、その謎の解明のために、鼻をきかせて、徹底的に事件を追うのである。そういう習性なのだ。そして、本来謎を解くのは猟犬ではなく、猟犬の主の務めのはず。「キリング」というドラマには、本当は、ルンドの上に、ルンドの頭脳となって物事を総合的に分析できる人物がいるべきなのだが、それがいないところに妙味がある。

ラマ先生の様子には、ルンドの鼻に訴えるものがあったのだ。草薙素子ならさしずめ「私のゴーストが囁くのよ」といったろうし、もしかしたら、「ライ・トゥー・ミー」のカル・ライトマンも見逃さないポイントだったろう。挙動不審な態度には、何がしかの事情がある。ルンドの不幸は、鼻でかぎわけられても、事情まではつかめなかったことだと、今も思っている・・・てか、警察の捜査って、事情をひとつひとつ解き明かして、これは事件に無関係、これも事件に無関係・・・と虱潰しに探して、最終的に関係あるものを絞り込んでくことだろうから、シーズン1のあの時点で、一つの関係性にぶちあたって、それが解決につながらなかったからといって目くじら立てて、敵の首をとったように「無能!無能!」いうほうがどうかしてるという気がする。

というよりも

1の人も2の人も、なんというか、過程を楽しめない人のような気がする。シーズン1のときは、もう予め全20話ということは通告されていたことだったのだ。それを掴まえて「精々2話で収まる」という見方をして、一つの事件が解決するまでの20日間を楽しめないというのは、ほんとうにどういう鑑賞者なのか。

またラマ先生の一件にしてもそう。全20話で、え~とあれは4話ぐらいだったかなあ・・・まぁうろ覚えだが、全体のボリュームからしたら、ほんの入り口をちょっと超えたぐらいのポイントで全面解決するわけはないし、ドラマ慣れ・あるいはミステリー慣れしてる人ならば、当然、それが不正解であることぐらいわかりそうなものだ。

そう、全てはまだ途中。それなのに、余りに裁定を下すのが早すぎる。

さて、そんなことを感じていた今日この頃、ふと今朝の朝日新聞を読んだらば、こんな記事があった。

ゆる~く達観「さとり世代」
 夢なし、欲なし、気概なし
 若者を象徴、ネットで浸透

「さとり世代」という言葉が広まっている。インターネットから生まれた表現で、今の若者を象徴しているという。バブル世代とも、ゆとり世代とも違うという「さとり世代」。どんな人たちのこと?」

「さとり世代」が最初に登場したのは2010年1月。(略)2ちゃんねるで(略)「欲しがらない若者たち」を語るスレッドだった。
同署には、今の若者たちの消費動向について「車に乗らない。ブランド服も欲しくない。スポーツしない。酒は飲まない。旅行しない。恋愛に淡白」とある。
これを受け、1人が「さとり世代」と書き込むと、「いい言葉!」「面白いフレーズ」などの書き込みが殺到した。

記事では、この「さとり世代」とは、「ゆとり教育」を受けた世代と年齢的にほぼ重なるだろうという意見を紹介している。

また、「さとり世代」の特徴を、次のように紹介している。

  • 車やブランド品に興味がない
  • 必要以上に稼ぐ意欲はない
  • パチンコなど賭け事をしない
  • 海外旅行への興味が薄い
  • 地元志向が強い
  • 恋愛に淡白
  • 過程より結果を重視
  • 主な情報源はインターネット
  • 読書も好きで物知り

実を言うと、私はバブルまっただなかの世代でありながら、かなり、行動傾向としては、この「さとり世代」とかぶる。

「車に乗らない。ブランド服も欲しくない。スポーツしない。酒は飲まない。旅行しない。恋愛に淡白」まったくその通り。さらに賭け事しないというのもドンピシャ(特にパチンコはしてる人を見るのも嫌、なんか汚らしくって・・・)

ただ、そんな私だが、いわゆる「さとり世代」と決定的に違うことがある。「海外旅行への興味が薄い」と「過程よりも結果を重視」という項目は私には当てはまらない。

お金と時間の問題さえ解決すれば、いまだって、世界中の美術館・博物館を回りたいし、世界遺産だって直に訪れてみたいと思ってる。あと、食! やはり本場のモノを食べたい!

なんといっても、過程とか結果とか、楽しければどうでもいいと思っている。自分が好きでのめりこんでいる対象については、とにかく、それに関して行っている、どんな些細な作業も楽しいものである。その過程も楽しく、結果も勿論、心から「楽しい!」と思えることが最高だと思う。

逆にいえば、過程を大事にしないで、結果が伴うわけがない、とさえ思う。

例えば料理なんかがそうだろう。
食材をどんな風に切るのかとか、調理(まさしく料理の過程だ)で、火加減をどんな風にするかとか、鍋の中の状態を注意深く見守って、ときにあえてレシピに逆らって火加減を変えたりするじゃないか。・・・まぁ、確かに、時々、恐ろしくテキトーに作ったのに、美味かったということもあるけど。

「終わりよければ全てよし」って考え方もある。だが、それもあるが、

やはり、過程を大事にしないで、結果が伴うわけがない。

あと、過程を一生懸命してると、時として、ハプニング的な結果を得られることがある。・・・ノーベル賞クラスの大発見にも、そういうの多くなかったっけ?

そこで、ふっと、アンチ・キリング、アンチ・ルンドな人たちを思い出してしまったのである。

「過程より結果を重視」する人たちにとって、なるほど「キリング」は途方もなくつまらない作品だろう。「キリング」は「過程こそ」大事にするドラマだろうからだ。そして、結果はさておき、捜査の過程で、おのれの勘に頼って独走するルンドは許しがたい存在だろう。ましてや、シーズン1は「あの結果」だったわけだし・・・

このデンマーク産ドラマは、アメリカでリメイクされたが、いったん打ち切りの憂き目を見た。やはり、アメリカ的価値観では評価されなかったということだと思う。だが、逆に、イギリスでは絶賛され、BAFTAで賞をとった。また、かなりなキリングファンがいて、ハンドブックなるものが発売されるほど。↓表紙がルンドのセーター柄なのがGOO!

Killing_handbook

まぁ、日本には、「アメリカ的価値観」をよしとする人もいれば、イギリス趣味な人もいる。このデンマーク産ドラマは、そのことを、今更ながらに突きつけてくれたということだろうか。

しかし、この「過程をじっくり描く」スタイルが幾ら好みじゃないからといって、ビルクラールセン夫妻をつかまえて「訳がわからない」と言ってのけるのは、どうかと思う。シーズン1の被害者遺族であるタイスとペニレのビルクラールセン夫妻。特にペニレの壊れっぷりは、犯罪被害者の悲しみを、これでもか、これでもかと掘り下げ、視聴者に提示してくれたのだと私などは思っているのだが・・・それを、なんとなく察せられないというのは、人としてどうかな、と・・・(^^;

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