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2014年6月26日 (木)

臣籍降下して皇族に戻った宇多天皇って

多分、こんな疑問を抱くなんて、私が、歴史素人だからだと思う。でも・・・

臣籍降下して後、皇族身分に復帰し、天皇となったといえば、

源定省(みなもとのさだみ)こと宇多天皇であらしゃいますが
つねづね不思議に思っていたことがある。
宇多天皇の父帝・光孝天皇の、数多さぶらう后妃のなかで、
結局、定省の生母である斑子女王が、一番身分が高かったんじゃないか。
光孝天皇が、自分が即位すると同時に、子女を臣籍降下させたというんだが
結局、後継者を選出するにあたって、
その天皇の、後宮の女性のうち、
最も身分が高い女性の産んだ男子を選んだというだけじゃないか
そんな風に思ってしまって仕方がないのだ。
何か特別なことのようだが、
自分の即位と同時に、一斉に子女を降下させたという光孝帝もなにか極端だし
当時の都人にも「なにもそこまで」という空気があったのだろうか。
光孝帝は、あくせくしない温和な人柄だったといわれているが、
そういう評判も後押しして、実の息子に後を譲ることができたのだろうか。
まぁ、基経にしてみたら、大人しくいう事を聞いてくれた、扱いやすい天皇に対して
ボーナスみたいなもんだったのかもなあ・・・
「今までよくやってくれたから、後継ぎくらい、お気に入りの息子にしてやるか」
というような・・・
(異母妹で尚侍・藤原淑子の猶子ということも大きかったんだろうが)
とでも思わないと、あの藤原家が、よくもまあ、自分とこの娘が生んだわけでもない元皇子の皇籍復帰なんて、提案しないよな、ほんとにw
それにしても、平安時代草創期の皇室というのも、いろいろ謎が多いよなあ
淳和天皇の御代とか、
仁明天皇から、宇多天皇に至るまでの間とか。

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