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2016年5月18日 (水)

極私的・ジェームズ・スペイダー祭り

只今、絶賛開催中なのだw

実を言えば、自分はジェームズ・スペイダーのファンである。

初めて彼の存在を知ったのは、映画ファンの御多分に漏れず、「セックスと嘘とビデオテープ」である。

そう、スティーブン・ソダーバーグの処女作にして、カンヌでパルム・ドールと男優賞と国際映画批評家連盟賞を獲得し、ソダーバーグに映画人として、スペイダーには俳優としての栄誉と評価をそれぞれもたらした作品である。

それを見たときの気分は今も忘れることはできない。

アメリカから現れたソダーバーグという若き才能、しかし、それにもまして、ジェームズ・スペイダーという奇跡のような存在があると知ったときの、全身が総毛だつような衝撃。

そう、ジェームズ・スペイダーという人は、本当に見るだけで雷に打たれたかのような驚きに満たされる、美しい男であったのだ。

***

絶世の美男。

この、陳腐な表現。こんな言葉、思い浮かべるだけでも、バカじゃないかと思える。しかし、本当に世の中に、そういうモノが存在するのだと知ると、その衝撃に人は固まる。そういうことを、当時ジェームズ・スペイダーを知ったとき、私は思い知った。

マンガや小説の中で、いくら主張されようと、所詮はそれは虚構……そう思っていた自分であったのに、ジェームズ・スペイダーに出会ったとき、男に対して「麗しい」ということが本当に有り得るのだと知った。

こんなこと、今の「ブラックリスト」や、少し前の「ボストン・リーガル」からスペイダーに触れた人には信じられないかもしれない。いや、そこで彼に興味を抱いたのなら当然かつての彼の容姿についても知っているはずだ。

本当に、彼は麗しい男だったのだ。

しかし、ジェームズ・スペイダーは、ただ美しいだけの男ではない。

その演技力たるや、並のものではない。

80年代初頭、アメリカで台頭しつつあった若手俳優たちとは全く異なる、単純ではない存在感。香水のごとく全身にまとわりつかせるニュアンス。

ただ、二枚目というのではないのだ。時に美しいヒロインの美しい兄。ときに富裕層の恵まれたボンボン。ときに、冷酷無比な麻薬の売人。はたまた行動の異なる双子の一人二役。

様々な若者を演じていながら、どれ一つとして同じものがない絶妙な演じ分け。確かに、カテゴリー的には似たようなキャラだったかもしれないが、しかし、作品を見ているこちらには、その群を抜いた演技力は、ひたすらに唸らされるものであったのだ。

いうなれば

彼が演じることで、『世界』は成立する。

ありえないだろう流石に!と思うような世界でも、彼がひとたび役に扮し、動くことで、いや、佇んでいるだけで、その物語世界は成立するのである。

ジェームズ・スペイダーの演技には、それだけのちからがある。

***

ただ、それならば、それだけの力をもった俳優が、何故それほど知られていないのか、トム・クルーズのような、ブラッド・ピットや、ジョニー・デップのような、大スターとして世に認識されていないのか、という疑問を抱かれるかもしれない。

尤もな疑問である。

これに関しては、スペイダーが俳優としての評価を確立させた「セックスと嘘とビデオテープ」をものしたソダーバーグ監督の言葉が、何十年たっても的確だと思うので引用したい。

彼にとって将来やりたい事とは、映画のビッグスターになる事ではなく、キャラクター・アクターになる事なのです。彼は常にドラマの役のキャラクターに惹きつけられ、演技をし、キャリアのための演技など必要としていないのです

(デラックスカラーシネマアルバム「マクラクランとスペイダーの世代」)

キャラクター・アクターとは、ことによると、バレエなどにおけるキャラクター・ダンサーを踏まえているのかもしれない。

オデットや王子のような、主人公キャラを踊るのは正統派のダンサーに限られる。どんなに踊りが巧くても、踊り手当人の個性が勝ちすぎると、その役は任されないのだという。そういう個性が勝ったダンサーは、悪魔ロッドバルトのような、アクの強い役が振られるという。

そんな個性の強いダンサーを、キャラクター・ダンサーというが、その役者版、キャラクター・アクター。なるほど、確かに、スペイダーらしい言葉だと思う。

そして、その言葉を裏付けるかのように、ジェームズ・スペイダーのフィルモグラフィには、一風変わった、妙味のある作品が並んでいくのである。・・・もちろん、どうして、そんなのにご出演を?というのもあるけれど・・・・・・。

***

皮肉なことに、天下の二枚目であったとき、銀幕においては、その美貌と演技と内に秘めた個性に見合う役はなかなか得られず、美貌が衰え、醜悪とまではいかないまでも容姿が崩れたとき、テレビドラマにおいて、天下無双のキャラクター・アクターぶりを発揮する役柄に出会うのだから、分からないものだ。

ゼロ年代初期、銀幕への露出が少なくなっていったとき、それこそファンは気をもんでいただろう。何より出演作に恵まれていたとはいいがたい。あれだけの才能がどうなってしまうのか、気が気ではなかったろう。

アラン・ショア、そして、レイモンド・レディントン。これらのキャラは、まさに、役者ジェームズ・スペイダーのポテンシャルでなければ、ありえなかったろう。

それを、映画界ではなく、テレビドラマ界が用意したということに、本当に現在の米国のショウビズ業界の変化を感じる。かつては、テレビこそ簡単で分かりやすいキャラ、複雑で妙味のあるキャラは映画にしかありえないと思っていたものだが、最早その先入観が通用しない。

長年のファンの中には、スペイダーの、映画からテレビへの移動に抵抗を感じている人も少なくないようだが、自分には、彼が、その能力に見合った、演じ甲斐のある役柄に出会えていることを喜ぶ気持ちが強い。映画とテレビの現状を鑑みるに、昔とは違い、一流の俳優に相応しい仕事はどちらにもあるだろうと思う。

美貌は失ったが、あとには、確かな演技が残った。それは凄いことじゃないか。

アラン・ショアの次にどんな役があるのか想像できなかった。だが、彼はレディントンを得た。

この先もいったいどんな仕事が彼を待っているか、誰にも分からない。

これからも、彼の演技によって、存在させられるのを待っている世界があるはずだ。

わくわくする。

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